整体師は、人を治す仕事なのだろうか?

整体師は、人を治す仕事なのだろうか?

長く整体をしてきて、最近ひとつ分からなくなったことがあります。

整体師は、人を治す仕事なのでしょうか。

整体師なら、

「何を当たり前のことを言っているんだ」

と思うかもしれません。

僕自身も、長い間そう思っていました。

身体の悪いところを探す。
原因を見つける。
歪みを整える。
症状を軽くする。
自分の技術によって、身体を良い方向へ変えていく。

整体師として、ごく自然なことだと思います。

僕もずっと、目の前の人に良くなってもらいたくて整体をしてきました。

だから技術を学びました。

身体のことを考えました。

なぜ痛みが出るのか。
なぜ良くならないのか。
どこを変えれば身体は回復するのか。

少しでも良くなって帰ってもらいたい。

その気持ちは今も変わっていません。

ただ最近、ふと思うことがあります。

「治そうとすること」によって、逆に見えなくなっているものはないだろうか。

「良くなってほしい」は、悪いことではない

整体師が患者さんを治そうとすること。

そこには多くの場合、善意があると思います。

良くなってほしい。
痛みから解放されてほしい。
元気になってほしい。

だから原因を探します。

「ここが悪いですね」
「この歪みが原因かもしれません」
「この筋肉が硬くなっています」

そうやって、身体の中から変えるべき場所を探していきます。

僕もやってきました。

それ自体を間違いだったとは思っていません。

でも、善意であるからこそ、一度立ち止まってみてもいいのではないかと思うようになりました。

これは本当に、この人の身体に必要なことなのだろうか。

それとも、
自分がこの人にしてあげたいことなのだろうか。

この二つは、似ているようで少し違います。

整体院に来たら、施術を受けるのが当たり前?

整体院に予約を入れて、人がやって来ます。

そうすると当然、

「施術をする」

という流れになります。

整体院なのですから、ごく自然なことです。

でも、ここでも最近ひとつ問いが浮かびます。

整体院に来たからといって、施術を受けなければならないのでしょうか。

身体を確認してみたら、今日は施術をしない方がいいかもしれない。

話を聞いて、生活の中で一つ変えてみるだけで十分かもしれない。

整体ではなく、医療機関へ相談した方がいいこともあるでしょう。

あるいは身体を確認して、

「今日は特にすることがなさそうですね」

ということも、本当はあるかもしれません。

それでも整体師は、

「せっかく来てもらったのだから、何か施術しなければ」

と思いやすい。

僕にもその感覚があります。

料金をいただく以上、何かしなければならない。

整体師なのだから、施術しなければならない。

でも目的が、

施術をすること

ではなく、

その人が良くなっていくこと

だとしたら、本当に毎回同じ答えになるのでしょうか。

「私が治す」を手放したら、何が見えるのか

僕には、まだ答えがありません。

「私が治す」という意識を手放せば、本当の原因が分かる。

そんなことを言いたいわけでもありません。

むしろ、何が見えるのかは分かりません。

今まで以上に何も分からなくなるかもしれない。

それでも、

「自分が何をするか」より先に、
「この人に今、本当に何が必要なのか」を見る。

そんな整体があってもいいのではないかと思っています。

施術した方がいいなら、施術する。
触れて確認する必要があるなら、触れる。
何もしない方がいいなら、しない。
整体以外の選択肢が必要なら、それを伝える。

その答えは、人によって違うはずです。

同じ人でも、その日によって変わるかもしれません。

だから決まった正解を持つよりも、毎回目の前を見る必要があります。

これは、思っていた以上に難しいことなのかもしれません。

良くなったら、来なくなる

整体の仕事には、少し不思議なところがあります。

患者さんに良くなってもらうために仕事をします。

でも本当に良くなれば、その人は整体院へ来なくてもよくなります。

つまり整体師は、一生懸命仕事をするほど、

その人が自分を必要としなくなる方向へ進んでいく

とも言えます。

商売だけを考えれば、何度も来てもらった方が売上になります。

でも整体師として考えれば、

「もう来なくても大丈夫です」

と言えることは、一つの理想なのかもしれません。

ここには、整体という仕事の少し悩ましいところがあります。

売上を作ることと、目の前の人が整体を卒業すること。

この二つは、ときどき反対方向を向きます。

だからこそ、

自分は何のために整体をしているのだろう。

という問いは、思っている以上に重いものなのかもしれません。

善意の向きを、一度問い直してみる

患者さんを治したい。

良くしてあげたい。

その気持ちを捨てる必要はないと思っています。

むしろ、その気持ちがあるから整体師を続けている人も多いでしょう。

ただ、その善意の向きを一度だけ問い直してみる。

「私はこの人を治したい」のか。

それとも、
「この人が良くなっていくこと」を見たいのか。

似ています。

でも、僕には少し違って感じられます。

「私が治す」が強くなると、自分の技術や理論を相手に当てはめたくなることがあります。

「この人が良くなること」を中心に置けば、もしかすると自分の技術を使わないという選択肢も出てくるかもしれません。

施術をしない。
原因を決めつけない。
分からないことを、分からないまま見る。

そんなことも整体の一部になっていくのかもしれません。

整体師は、人を治す仕事なのだろうか

最初の問いに戻ります。

整体師は、人を治す仕事なのでしょうか。

僕には、まだ分かりません。

治す仕事だとも言えるでしょう。

身体が回復する手助けをする仕事だとも言える。

何も決めずに身体を見る仕事、と考えることもできるかもしれません。

ただ最近は、

「自分が治す」

というところから少し離れてみたいと思っています。

そして目の前の人を見て、

今、この人には何が必要なのだろう。
本当に施術が必要なのだろうか。
自分がしてあげたいことと、この人に必要なことは同じだろうか。

そんなことを、一回一回問いながら整体をしてみたい。

答えを出したからではありません。

分からないからこそ、目の前を見る。

今の僕にとっては、それも整体なのだと思っています。