おばあちゃんの病気から学んだこと

整体と出会ったのは、私が会社員時代でした。

整体はたまたま趣味の一環として始めたので、私がまさか太田市で整体院を営むなんて思ってもみませんでした。

 

ずっと「患者さんの不調をどうしたらよくしていけるか?」と試行錯誤していたらここまで来ました。

 

ふとした時に思い出すことがあります。

入院した祖母

私が整体を学ぶ前から、祖母が膝と股関節の不調と坐骨神経痛で整形外科をいくつか変えながら通っていました。

 

祖母の病院の送り迎えなどをして見守っていたのですが年単位で祖母は歩くのが困難になっていったのを覚えています。

 

そのような状態がしばらく続き、寒い日の朝、祖母は居間のこたつの横で倒れ救急車で病院に運び込まれました。

緊急入院

病院で脳梗塞との診断を受けたのです。

そのまま祖母はその病院に緊急入院しました。

 

祖母はそれから数週間、点滴されほとんど眠ったような姿でしたが、お医者さんや看護師さんの方々に祖母の回復を手伝っていただき、日を追うにつれ意識を取り戻し声が出せるようになり食事もわずかですが食べられるようになって回復していってくれました。

 

その当時の私は、会社で仕事を終えて整体学校に行く前に病院にお見舞いに、祖母の手足に習いたてのツボ療法を行っていました。

 

脳梗塞の発症後は体を動かして回復に努めなければ退院後大変になると先生方から伺っていたので、祖母には入院中にできるだけ手足を動かす努力をしてもらって、「家に帰ってからはどうサポートしていくか?」を母と話したりしていました。

おばあさん

 

季節はあっという間に桜の開花の頃になりました。

 

祖母の会話も食事も順調に進み、表情も戻ってきました。

補助具を使っての歩行も少しづつできるように回復し、そろそろ「一時帰宅」の文字も見えて来たある日の真夜中、春には珍しい雷が激しく鳴り響きました。

 

雷が静まった後、深夜の自宅に電話が鳴り響きました。

電話は病院の看護師さんからでした。

 

「祖母の脳梗塞が再発した。」とのことでした。

 

私たちが駆けつけた時には回復しかけていたニコニコした祖母はそこには居なく、酸素マスクを口に当てられ「1日で人はこんなに変わるのか?」と思うほどの目を背けたくなるような状態の祖母が居ました。

 

祖母の痛ましい状態は次の日まで続き、その日からまた最初に入院した時に入った緊急病棟に逆戻りし、脳梗塞の急患専用の病室に祖母はまた運ばれたのです。

 

祖母の昏睡している横で私の母が1ヶ月前までお世話になっていた看護師さんに「出戻りです。また母がお世話になります。」と涙ながらに言っていたのを思い出します。

 

祖母はその病院に最終的に3か月半入院していたことになります。

祖母は天国に旅立ったのです。

 

 

私には祖母に何もしてやれなかった事実が残りました。

 

脳梗塞を起こす前、足腰を悪くしていた祖母を乳母車無しで歩けるようにもしてやれなかった。

病院には孫としてお見舞いに行き、元気付けに私の顔を見せに行っただけでした。

 

力のない自分を責めるだけで日々が過ぎていきました。

 

老いや運命はどうにもできないのか‥。

祖母はどうして病気になったのか?

私が幼い頃、祖母と祖父が田んぼで稲作をしている時、幼い私が小さな用水路を渡れないでいると祖母が後ろから「ほっ」と私の脇を抱えて飛び越えさせてくれたり、川にいる生物が私は好きだったので一緒に網ですくったりしたのを思い出していました。

 

私が青年になった頃は祖母は膝や腰の痛みを訴え始めていました。

数日おきに整形外科に通っていたのを覚えています。

 

我慢強い祖母なので「痛い。」とはめったに口に出さず、「整形外科に頻繁に治療を受けに行っているから大丈夫だろう。」という心理が働いて、祖母の関節が深刻な状態になっていくことに私は気付けなかったのです。

 

その後は、様々な飲む薬が増え、常に股関節が曲がった状態で脚を動かそうものなら祖母はしかめっ面になって「うっ‥‥いてっ‥。」とうめくようになっていました。

そのような状態になって初めて、祖母の関節が深刻な状態になっているかもしれないことに私は気付いたのです。

 

最終的には祖母は歩くのが困難になり、フラストレーションでお茶菓子の量は増えていき、当然、血の濁りが糖尿病を呼んだり、血液中に血栓を作っていく‥。

 

「おばあちゃん、運動した方がいいんだよ」と声を掛けることも多くなっていました。

そして、脳梗塞の発症。

 

 

病気の前に祖母は関節の痛みを我慢し、周りは「病院に通っているのだから治るだろう。」と希望を持っていただけなので、祖母は病気になるべくしてなったようなものなのです。

 

後になって、「傍にいながら‥。」と自分を責めていました。

祖母から気付きをもらう

ある程度期間が経ってから祖母と一緒に過ごしていた時のことを思い返してみると、祖母から温かく大きな気付きをもらったように感じます。

 

祖母は足腰を悪くしたことが病気に繋がったのです。

 

足腰の1部分でも硬くなったままになると、その部分が機能低下するので他の部位がかばいます。

かばっている側の部位も疲弊して硬くなります。

そして、それらの部位をまた違う部位がかばいます。

 

そうやって悪循環は作られていきます。

 

悪循環の部位が多ければ、回復力が集中できずに回復困難な状況が続き、体は悪くなっていきます。

 

そして、悪循環を加速させたのが薬での血圧調整だと考えられます。

 

参考ページ:高血圧の時、血圧は下げなくてもいい?

 

ストレスも更に加わり内臓にも負担を掛けて病気になったのではないか、と推察できます。

 

 

しかし、足腰の筋肉を弛めて血行が良くなれば、不調は減っていくことに今は気付いています。

 

「過去の私にも知識があれば、祖母の状態に早く気付き関節の痛みも病気にもなりづらかったかもしれない‥」と思うこともありましたが、あの頃はあの頃で家族みんな精一杯生きていたはずです。

 

祖母もそう思っているかもしれません。

 

整体院福粋へのアクセス情報

住所

〒373-0852

群馬県太田市新井町515-5

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