幼少期の私

小さな頃から私は自然の中で遊ぶことが多かったかように思えます。

川辺の生物を採りに行ったり。

虫を探したり、畑で遊んだり‥。

乗り物酔いの激しい私でしたが、年に一度、海に連れていってもらえてその時の気持ちは最高に嬉しかった記憶があります。

 

幼少期は「この子は大人しいねぇ。」とよく言われていました。

アクシデントがあるとよく泣いている子供でした。

小学校低学年までは走るのが速い方だったのですが、一等になるのが恥ずかしく感じ、いつも力半分で走って一等を誰かに譲っている児童でした。

小学5年生でオスグッド(成長痛)にかかり、膝の痛みを抱えながらの学校生活になりました。

長い痛み生活の後は、脚の筋肉のバランスが変わってしまい、走るのが遅くなったことを記憶しています。

 

そもそもスポーツに興味が無かったのですが、学問も最初から興味が沸かず劣等生でした。

特に社会科など覚えるだけの勉強は拷問のようなものでした。

 

母親に「勉強しなさい!」を何万回言われたか知れません。

母親が私を怒っている姿を見ているとなぜか可笑しくなってしまって笑いながら聞いていると、カンカンに怒った母親は「何で人が怒っているのに笑って聞いているの!」とまた更に怒られたのでした。

 

ずっと「なんで勉強しなくちゃいけないんだろう‥」という疑問を抱き続けていました。

そんな劣等生のまま、得意なことは多くの人に評価されないようなことばかりで、小さな生物を観察することや絵を描くことでした。

当時(小学校低学年から)はテレビゲームのファミコンの時代だったので、学校から帰って来ると、ゲームか近所の子供たちと川や虫採りなどに精を出していました。

 

中学時代も「スポーツと勉強ができない」と劣等感を持った生徒だったと思います。

どっぷりと劣等の中に漬かっている気持ちはいいものではなく、高校からは「身体能力だけでも向上させたい」と思い、色々と体を鍛えていたことを懐かしく思い出します。

 

このようなことを今は思い出せますが、「私が80歳になったらどのくらいのことを覚えているのだろう?」と思いを馳せることがあります。

いまだに川辺を歩くことが好きだったりします。

散歩をすると気分がいいですね。

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