優しさと自己犠牲の境に気づく時
― 院長メッセージ・静けさシリーズ ―

最近、通勤途中の細い道で対向車とのタイミングがずれるたびに、
「これはハイヤーセルフからのメッセージかな?」と感じることがあります。
通せんぼになりそうでならない、ズレながらも全体が流れていく。
その“結果的な秩序”の中に、静かな学びがあるように思います。
昨日は、出先でさまざまな人間模様を見ました。
久しぶりに会った主婦セラピストとは、以前よりもずっと穏やかに話ができ、
そこでは常連さん同士の小さなトラブルがあったようですが、知り合いが間に立ち、僕は知り合いからその話を聴く役にまわりました。
また、新しく出会った男性が介護の話を長く話してくれて、
「正直ちょっと長いな」と感じながらも、
どこかで「この人は、僕なら聴いてくれると思ったのだろう」と感じていました。
その一連の出来事を通して気づいたのは、
“優しさと自己犠牲の境には、静かな感覚の違いがある”ということ。
優しさは、相手を包みながらも、
自分の内側の静けさを守る行為。
自己犠牲は、相手の波に飲まれて、
自分の静けさを見失う行為。
どちらも「聴く」から始まりますが、
本当の優しさは、溶けることではなく、
“静かに境界を光らせること”なのかもしれません。
あなたの胸の前にも、柔らかい光の膜のような境界があると想像してみてください。
その光を通して、相手の想いが穏やかに変換され、
世界へと優しく還っていくイメージを描いてみてください。
今日もまた、静けさの中に「人を想う力」と「自分を守る力」が
同時に息づいていることを感じます。
― 坂本安楽
